一時期、日本経済を沸騰させ、今でもその頃の逸話などが語られることの多い「バブル景気」

この時期の日本は、物価がどんどん上がるものの、消費者が手にするお金も上がっているため、物価高騰など全く気にせずガンガン消費する。
これによりさらにモノが売れ、企業は儲かり、また社員の給料を上げる。

ひたすらこの流れをループし、この時期の日本は凄いことになっていました。

そんな伝説のバブル時代は、いつから始まり、どのように崩壊していったのでしょうか?

バブル景気が始まったきっかけ

バブル景気は、1986年頃から始まり、1991年初頭にかけて継続しました。

ですが、なぜこんなケタ違いの好景気が発生したのかを把握している人は案外少ないもの。
なぜあんな状態になったのか気になりません?

バブル景気の引き金となったのは、1985年のプラザ合意だと言われています。

プラザ合意とは、先進国5カ国による為替レートに関する合意のこと。
概要としては、アメリカが貿易赤字の解消を狙って、ドル安政策を行なう、というものでした。
つまり、ドルの価値をあえて落とそうとしたわけです。

自国通貨の価値が下がれば、輸出で有利になり、貿易収支が好転しやすいもの。
今の日本もまさにそういう状態ですよね。
アメリカも、これを狙ってドルの価値を落としにいきました。

そしてこのアメリカの狙いは見事的中し、この合意の翌日には、たった1日で約20円もの円高ドル安が起こります。

さらにこの合意によって、1985年当時は「1ドル=約240円」だった相場が、わずか1年後には120円台になっていたのです。

要は、米ドルの価値がほぼ半減したほどの円高が起こったということ。

しかし、極端な円高が発生すると輸出産業が打撃を受け、日本全体が不況に陥る危険性が高まります。
これを恐れた日本政府は、大幅な金融緩和を行なうことで乗り切ろうとしました。

具体的には、低金利政策を行なって、企業や個人がお金を借りやすい状況を作り、お金の流通を活性化させようとしたのです。
要は、国民にお金をバラまいて、たくさん消費させようとしたわけです。

これが、バブル景気の始まりでした。

お金を借りまくり、遣いまくるようになった日本人

低金利でお金が借りられるようになったことで、日本国内では投機熱が高まっていきました。
多くの企業や人が、低金利で借りたお金を、「株」や「土地」への投資にどんどんつぎ込んでいったのです。

こうして、借りたお金で土地や株を買いまくる人が増えたため、土地や株の価格がグングン上昇。
どんなものでもそうですが、買いが入れば価格は上がり、売りが入れば価格が下がります。
この時は、誰も彼もがいろいろなものを買いまくっていたので、すごい勢いで土地や株や物の価格が上がっていったのです。

中でも土地は別格でした。
「絶対に価格が下がらないもの」という神話が出来てしまうほど手堅く上昇し、日本人の意識の中から「土地の価格が下がる」などという概念は消え去っていたのです。
大げさではなく、本当にあの時代に土地の価格が下がるなどと考えている人などほとんどいませんでした。

今では信じられない感覚ですよね・・・
この世に、絶対に価値が下がらないものなど存在しないのに・・・

とにかく、日本人のほとんど全員が、泡沫の夢に溺れていたのです。

続く物価の高騰、増え続ける給料

土地転がしで利益を得た不動産関係の会社や、株価の高騰で資産価値が上昇した大手企業が徐々に増加。
さらに、これら大企業の下請け会社なども恩恵を受け、中小・零細企業の売上もどんどん上がっていきます。

この頃は、「経営の素人が会社作ってもなんとなく成功してしまう」なんてことが多発していた時代でした。
それぐらい、多くの会社がみるみる成長していったのです。

もちろん、会社に勤める社員たちの給料もグングン上がっていきます。

そして、消費者である社員の給料が増えれば、消費量も増えるもの。
バブル景気によって物価もどんどん高騰していきますが、給料もそれ以上に上がっているため、かまわずモノやサービスの購入を繰り返す消費者。

モノやサービスがどんどん売れれば、また会社が儲かる。
会社が儲かれば、また社員たちの給料も上がっていく。

・・・と、こんな夢のようなループが5年間ほど続き、日本経済は絶頂期を迎えたのです。

ところが、ご存知の通りこの超絶的な好景気も長くは続きませんでした。

バブル崩壊の原因となった2つの出来事

時は1990年。

あまりに加熱した投資ブーム。
本来の価値とはかけ離れた高値になってしまった土地。

この現象はさすがに行き過ぎだろうということになり、こういった流れに歯止めをかけるため、当時の大蔵省が金融機関に対して「不動産に投資するための融資は控えろ」という行政指導を行なったのです。

お上に言われたら銀行としても従うしかありません。
これを機に銀行からの融資は鈍化し、必然的に土地への投資も減っていきます。

さらに追い打ちをかけるように、公定歩合の引き上げ」も行なわれました。
公定歩合とは、日本銀行が民間の金融機関にお金を貸し出す時の金利。

こうして、日本銀行から高い金利のお金を借りるようになった銀行は、当然高い金利を付けて顧客に貸し出すことになります。

しかし顧客は、今までは金利が安いから借りていただけ。
わざわざ高金利の融資を受けてまで投資しようとは思わない人もたくさんいます。

・・・と、この2つの出来事がきっかけとなり、急速に投資ブームが終焉に向かっていきます。
そう、バブル崩壊の足音が聞こえ始めたのです。

そして始まったバブル崩壊

大蔵省による行政指導。
そして公定歩合の引き上げ。

この2つの出来事が原因となり、人々の投資熱は急激に冷めていきました。

と同時に、ようやく、

「今の土地の価格・・・高すぎないか?」

と気付きだした人たちが現れだし、このあたりの時期から、利益を確定するために個人・法人を問わず一斉に土地や株を売り始めたのです。

さぁ、こうなるともう流れは止まりません。
土地でも株でも、買われているうちは価値が上がりますが、その逆で売られている時は価値が下がります。

いきなり下がりだした株価・地価に焦りだし、一般の投資家たちも一斉に「売り」に転じます。
これにより、株価・地価はグングン下降。
下降する株価・地価を見て、「しばらくしたら持ち直すだろう」と楽観していた人たちも焦りだし、慌てて「売り」にいきます。
すると、さらに下がっていく株価や地価。

・・・という負のループに陥り、景気は急激に後退していき、あっけなくバブルは弾けてしまったのです。

それどころか、反動として平成大不況が訪れ、

「モノ・サービスが売れない」
「給料が上がらない」
「就職が決まらない」

などの苦しい状況に日本が陥っていたことは、まだ記憶に新しいでしょう。

ここから、悪夢の「失われた20年」へ突入していきます・・・

バブル景気スタートから崩壊までのまとめ

以上が、バブル景気の始まりから崩壊までの流れとなっています。

最後に簡単にまとめてみますと、、、

プラザ合意がきっかけで日本が低金利政策に走り、低金利ゆえに企業や個人は資金の調達がやりやすくなった。 調達した資金で、土地や株などにガンガン投資を行なう企業・人が増えた結果、土地や株価の高騰が発生。 結果、物価・所得ともに増大。

しかし、国による金融の引き締めによって土地や株が一斉に売られだすと、同時に地価・株価ともに下落。 ついにはバブル崩壊。

・・・という感じです。

余談ですが、結果的にバブル景気の発端となったプラザ合意、この会議はなんとわずか20分で終わったそうです。
たった20分の会議で、あれだけ大きな影響を日本に与えるとは・・・
不思議なものです。